〜Interlude in〜

 目覚ましを切る時、其処におかれた置手紙に気が付いた。取り上げて、目を通す。

「―――ふふ」

 手紙には、無理をさせて悪かった、と、書いてある。おかしな話だ、私が体調の管理をしていなかったのに、これではまるで、彼が悪者の様。それにしても―――セックスの失敗には高すぎる贈り物だ。今晩は、食事と笑顔で相当なサービスをしなければならないだろう。ナタリーはもう一度微笑むと、シーツを纏ったままクローゼットに歩み寄った。さて、今日は何を着ようかしら。口を付いて出る声は、何処か弾んでいる。幾つになっても、贈り物というのは嬉しいものだ。このイヤリングに合うように、今日は少し洒落込んで仕事に出かけよう。赤いレースの下着に脚を通す。セットのブラに腕を通しストッキングをはく。シルクのシャツも、思えば彼からの贈り物だった。イヤリングをしっかりと引き立たせるには、スカートよりパンツの方が良いだろうか。メイクはシンプルにした方が良いだろう。ルージュとアイラインを強調して、ルビーの色に合わせよう―――

 プレゼント一つで女を幸せにする。本当に彼は―――私の魔法使いだ。

〜Interlude out〜

















 ―――用意した弾丸は二種類。意識はともかく体がマガジンを詰め替える、揺らめく熱気の影響で正確な相手の位置がつかめない、撃った。無駄弾は使えない、必殺の意思で発射された弾丸には必殺の意思が宿る。小さな魔術様式の輝きが、炎の向こうに消える。くぐもった呻きが聞こえた。が、急所は外したようだった、だが、時間稼ぎにはソレで十分。乾いた笑みが唇に張り付いた、これだけの魔術をノータイムでは相殺できない。だから―――手順をいくつか増やす事にした。詠唱は極端に短く、残すところ一秒も無い。出来うる限りの意味を篭めて小さく呟く。元より詠唱とは世界ではなく己の意思に働きかける物、其処に長短の優劣は無く、如何に自己へ埋没するかが重要となる。展開したのは物理防御と固有時制御、狙いの甘さと物理的な衝撃に期待して、備えた。成功すれば生き延びる、失敗すれば―――消し炭が残る。小さく笑った。どちらにしろやって損は無い賭けだ。残っていた手榴弾を後に残さず後ろに放った。

「―――!!」

 耳を塞いで、口を開ける。溝臭い水が流れ込むが今はそんな事を気にするだけの余裕など無い。僅かに遅れて、強烈な爆圧が鼓膜を叩く、細かい鉄片が、物理防御に弾かれて落ちた。爆炎も煙も収まらぬうちに、跳ね起きて視界を確認した。熱によって脆くなっていた屋敷の塀が、先ほどの爆圧によって大きく撓んでいる。上手くいった。これなら―――影響範囲からは出られないものの、自身の消滅は免れる。

「―――Set.」

 加速した。今はただ、風より速く。置き去りになった溝水が、魔術効果の熱量によって空中で沸騰していく。僅かながら水は熱の浸透を食い止めてくれたようだ。ソレを視界の端で見ながら、道を斜めに横切って塀を駆け上がる。煮えた衣服が熱い。醒めることの無い情熱的な愛撫で全身を苛んでいる。目標を見失った魔術が、道路の一部を煮えたぎらせながらその役目を終えてマナに返る。とどめを、そう思ったが火傷で引き攣れて引き金が引けない。焦った、全身から煙を噴き上げながら、じれた。自身にかかる重力を制御しながら、ジョナサンへと迫る。焼け焦げた衣服が、俊敏な格闘を許さない。無様にぶち当たった、もつれて、転げる。かろうじて上になることが出来た。馬乗りになって、ジョナサンを地面に押し付ける。憎憎しく光る瞳が、まだ諦めてはいないことを示していた。無意識に腕を振り上げていた、銃把で殴りつける。一発、もう一発。折れた歯がそこいらに散った。この程度でこの相手は折れない、何故か、そんな確信があった。もう一撃を、そう思って振り上げた時、下から突き上げられた。思いの外頑健な体だ、振り上げて多少反り返った体が、後ろに転がされる。立場が逆転した、起き上がろうとした脇腹に爪先が突き立つ。激痛に呻きをあげた、『マフィア』らしい、先の尖った革靴だ。肋骨の隙間に入ったソレが酷く堪えた。ちかちかと視界が明滅する。人の、嬲り方を心得ている蹴り方だった。こめかみ、耳、肩口、太ももの側面、骨盤、胸骨中央、肋間、脛部、脹脛の中央、首筋。人体の急所と痛みの激しいポイント目掛けて、二発、三発と爪先が襲い掛かってくる。体を丸めて耐えた。重たい蹴りだ、六十を過ぎた男の仕業とは思えない。不意に、その暴力的な蹴りが止んだ。反射的に相手の足に手を伸ばし、思い切り引き寄せる。詠唱体勢に入っていたジョナサンがバランスを崩した。銃を左手に持ち替え、踊りかかった。銃口は額に、そうはさせまいと男の抵抗が過熱する。死ね。そんな無言の呪いが相手に突き刺さる。視線で人が殺せるのならば、お互いは既に死に尽くして久しいだろう。

「……一つ聞かせろ」

「何だ……?」

 不意に、ジョナサンが口を開いた。

 血に濡れた口から出る言葉は、奇妙な生臭さを含んでいた。































                      「A good & bad days 10.」
                        Plecented by dora



































 /10

「お前は―――封印指定の執行者なのか?」

 答える事を躊躇う。僅かな逡巡が、切嗣にあった。だが、それも一瞬のこと。瞬きするほどの間をおいて切嗣は言った。

「そうだと思っていた、だが違うだろう。お前は封印を指定されたわけでは無い」

「何だと……?」

 驚愕に、ジョナサンの力が僅かに緩んだ。好機か。じわり、と僅かながら銃口が額に近付いていく。あと少し―――そんなところで、再び腕力は拮抗した。

「ならばなぜ―――」

「僕が聞きたい。ジョナサン・ローデス、お前はいったい何を見た、何を知れば協会がこの程度の魔術で抹殺を狙う」

「この程―――知ったことか!」

 侮辱されたことが堪えたのか、力を振り絞ってジョナサンが銃口を脇に逸らす。その口が詠唱の形に開かれ―――降って来た額によって再び塞がれた。折れた歯が額に痛い。それを意識する暇も無く、もう一撃、噴出した鼻血は、年齢に関わらず赤い。むしろ、常人よりも魔力貯蔵量が多い分鮮やかに見える。それが、どことなく切嗣の研究意欲をそそった。

「ご!?―――ぶふぅっ」

「やらせるか―――余計な事に気を回せると思うな。答えろジョナサン!」

「馴れ馴れしいわ!」

 切嗣の中で情報の優位性が相手の生死に勝った。何時使い捨てられるか判らない。―――僕は協会の銃弾でしかない。―――そんな思いが、やはり男の胸の内にあったのだろう。切嗣のその問いかけには、多分に焦燥が含まれていた。

 一撃、もう一撃と、額が顔面を殴打する。それでも消えない相手の眼光に、切嗣の焦燥感がじわじわと高まっていく。

 不意に、ジョナサンが弾ける様に嗤い出した。

「ご、ふ、ぐ―――ははははあ! ここまでされた相手が大人しく口を割ると思うか?」

「――――!」

 焦燥感から生まれた、僅かな緩み。その緩みに隙を付かれた。必死で銃口を逸らしていただけの指が、僅かに動いて銃口を先端から押さえていた。不覚にも、意識していなかった段階でだ。無論、その程度で破裂する銃身など無いが―――それがもう一押しとなると話は違ってくる。かちり、と、小さくスライドが下がった。急いで引き金を引くが、手遅れだった。もう、まるで手ごたえが無い。

 くそったれ。

 ショートリコイルだと。

 スライドが動いた段階では引き金が引けない。此処を押さえられないようにするのは、接近戦の鉄則だったというのに―――油断した。握り締められた銃身は、動かすことしか出来ない段階まで制御されている。不意に、ジョナサンの腕が伸ばされた。続いて、撃発音。頬に灼熱感があった。デリンジャーか、違う。コルトポケットだ。袖に仕込めるように改造したのか、ムスタングモデルを、更に短く切り詰めてある。

 コルト・ポケットは、アメリカの銃器メーカーであるコルト(Colt Patent Firearms)社が銃器デザイナーであるジョン・M・ブローニング(John Moses Browning)の協力を得て開発した小型の自動拳銃である。コルト・ポケットには.32ACP弾を使用する32オート、.380ACP弾を使用する380オートの3種類のモデルがあり、32オートの正式名称は「M1903」である。380オートは同社の45オート(ガバメントM1911A1)に似ているため「380ガバメント」とも呼ばれ、380オートをさらに小型化したものは「ムスタング」とも呼ばれる。小口径とは言え、38口径なら十分に致命傷を与えられる。そもこの距離だ、頭を狙われれば致命傷になる可能性はより高くなる。言語野やら視覚野だけをやられて廃人になるだけの可能性よりはよほど高い。切り詰めたグリップから察するに―――残りは恐らく四発、薬指ぐらいまでしかない短い銃把には、それ程装填できなかったはずだ―――自身の手首を支えていた右手を離し、次弾の狙いを定めようとする腕を掴んだ。どの道引き金が引けるほどには回復していない。一度手首を掴んだ腕を離し、今度は銃身自体を握った。ハンマーは表に出ていない。ただ今は――――逸らすことだけに専念させる。

 今度こそ完全に拮抗した、お互いの切り札は塞がれ、お互いの魔術は詠唱を妨げられている。強いて言うのならば切嗣が僅かに有利だった。両手は塞がっていても、呪文を唱えることは出来る。上になっている分、頭突きで妨げられることもそうは無い。だが―――僅かでも意識が他を向いたのならばこの相手は反撃に出るだろう。そう思わせるだけの武威が、ジョナサンにはあった。

「どうする衛宮切嗣」

「なんだ?」

 力が振り絞られている。爆圧は、切嗣の体力の大半を奪っていた。同様に、止まる気配を見せない鼻血はジョナサンを弱らせていく。早晩決着が付くのは目に見えていた。

「如何にこの区画に人が少なかろうと、な。ショッピングモールもあるような区画だという事を忘れては居ないか?」

「憶えているさ」

 時を同じくして、硬い靴音が路地に聞こえ始めた。にやり、とジョナサンの口元が勝利に歪む。地元の老人に、馬乗りになる東洋人の若い男、屋敷は爆破され、大勢の人間が死んでいる。紛れも無くテロリストの犯行―――マフィアが地域にもたらす物は暴力と恐怖だけでは無い事を思い知れ。そう、ジョナサンの目が言っていた。切嗣は表情を変えない、ただ、時が来るのを待つように歯を食いしばっていた。

 切嗣の表情から、ふ、と焦燥が消えた。いぶかしむように、ジョナサンの表情が曇る。確かにジョナサンの言うとおりだ。このまま拮抗状態が続けばやがて目撃者が出るだろう。それは確かにうまく無い事態だ。だが―――


































「え―――何をしているの切嗣」



































 ――――そんな事は、とうに計画に織り込み済みなのだ。

「な―――」

 ジョナサンの動きが、聞こえてきた声に凍った。僅かな逡巡の後、視線が助けを求めるように声を見やる。

「ナ、タリー……?」

「お父―――様?」

 ―――――拘束が緩んだ。

 ポイントブランク。銃口をこめかみに押し当て―――弾丸が尽きるまで引き金を引いた。冥土の土産に教えてやる。

 彼女が―――用意したもう一発の弾丸だ。

「ぎ―――ぶ、ぎっ」

 豚の様に呻きながらジョナサンが痙攣する。何処の神経をやらかしたのか、その顔はまるで酒に酔っているかのようだ。どこか愉快で、この上なく惨めな亡骸。ソレを見下ろしながら―――切嗣はポケットからマガジンを取り出した。力を振り絞ったせいで震える手を押さえ、マガジンを入れ替える。スライドストップを押し下げると、硬い音を立てて初弾が装填された。

 顔を上げた。直後、向けられる瞳にひるんだ。憎しみや慟哭ならば正面から抱きとめて立って見せるのに。彼女の顔にあるのは、あくまでも自分自身に向けられた物だ。泣き出そうな瞳が、此方を向いている。ひどく胸が痛んだ。それが―――何故か不思議で。

 今までそんなことが無かっただけに、まるで故障した機械のようだと切嗣は思った。


 ナタリーの口が開く、怯えるように、切嗣の目も開かれた。

「これが―――ぎっ」

 撃った。

 声は聞きたくなかった、何を聞かれても答えることが出来ない。引付を起こした時のような奇妙なうめき声、余計に胸に刺さった。

 額にあいた小さな穴を眺めるように、彼女の瞳がゆっくりと上を向く。そのまま倒れた。人形を斃すような動きのくせに、音は驚くほど大きかった。







 ―――じき、非常線が張られる。その前にこの街を脱出しなければならなかった。引き攣れる体を抱えて、町外れへと走る。此処からならば、そうは遠く無い。回収地点には、既にピックアップのトラックが来ているはずだ。

 叫びだしそうになるのを堪えた。理由は判らないが―――無性に叫びたかった。

 トラックが見えた、此方の姿を確認したのだろう、ドアが大きく開け放たれている。其処に飛び込んだ。

 息がは荒い、熱が出て居るのか。やけに体が寒かった。

「衛宮、まだ寝るには早いぜ」

「うるさい、少しぐらい眠らせろ」

 とにかく眠たかった。こんなに消耗した憶えは今までに無い。眠りたい、そう思った。だが―――こんなところでは眠りたくない。

「―――未練だ」

「何?」

「独り言だ、気にするな」






 ――――僕が眠りたいのは。

     僕が眠りたいのは、あの日差しの穏やかなアパートメントの―――






 ぐっと唇を噛んで、呻きを堪えた。功刀の顔を睨みつけて、その無意味さに歯噛みする。

 引退時なのかも知れない。そんな事を考えながら、抗生物質をミネラルウォーターで飲み下した―――

 〜Ded bad END.〜







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